紹介ページ(行政文書ではありません)

江東区の歴史

江東区の成立や水辺のまちづくりの流れを、区の公式サイトの公開情報を中心に整理しました。写真は主に Wikimedia Commons のフリー素材です。最新の統計・施策は必ず 江東区公式サイト をご確認ください。

水運・市場・埋立地の発展が重なった地域のイメージです。各画像の下に出典・ライセンスを記しています。

区名「江東」の由来

江東区の公式紹介によれば、「江東」は隅田川の東に位置するという地理的意味から、辰巳区・東区・永代区などの候補のなかから選ばれた区名です。昭和22年(1947年)2月21日に城東区会で、同月25日に深川区会で議決されました。「江」は深川、「東」は城東の意味も含みます。なお「江東」という呼び名自体は江戸時代から使われ、本所・深川あるいは広く隅田川東部を指す用例があったとされています。

江戸以前から江戸時代

区の「おいたち」の説明によれば、いまの江東区の地は江戸時代まで東京湾に注ぐ河川のデルタ地帯で、海面と小島が散在する環境でした。亀戸周辺には人の居住を示す伝承や地名が残ります。慶長期(1596〜1615年)には深川八郎右衛門による森下周辺の新田開発と深川村の創立、万治2年(1659年)には砂村新左衛門一族による宝六島周辺の新田(砂村新田)など、埋立てと新田開発がまちの基盤となりました。明暦の大火(1657年)ののち、幕府は貯木場を永代島に集めて木場を創設し、元禄14年(1701年)に現在の木場へ移転させたとされています。河川を生かした木材・倉庫・問屋の町として深川が栄え、城東側は江戸の近郊農地・行楽地として知られた、と区は紹介しています。

明治以降の行政区分と「江東区」の成立

同じく区の紹介では、明治時代に広い土地と水運を生かした工業地帯へと変化したこと、明治11年(1878年)の郡区町村編成法で深川区が誕生したこと、昭和7年(1932年)に南葛飾郡の町村が合併して城東区となり東京市が35区になったことが述べられています。昭和18年(1943年)の都制施行をへて、昭和22年(1947年)の区画整理で深川区と城東区が合併し、現在の江東区が発足。同年の新しい地方自治制度により、いまの23区制となった、とされています。

年表(抜粋)

内容(要約)
1596〜1615頃(慶長期)深川周辺の新田開発・深川村創立(区「おいたち」)
1659年(万治2年)砂村新田などの開発(区「おいたち」)
1701年(元禄14年)木場を現在の地へ移転(区「おいたち」)
1878年(明治11年)深川区発足(区「おいたち」)
1932年(昭和7年)城東区成立、東京市35区(区「おいたち」)
1947年(昭和22年)深川区・城東区が合併し江東区発足、23区制へ(区「おいたち」)

年表は区の公開ページの記述を要約したものです。研究・法務用途には一次資料の確認をお願いします。

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